なかのんを訪ねて

「なかのん」は2005年11月30日、それまで既存の路線がなかった鷺宮・上鷺宮地区より中野駅へ直接行く足を確保すべく、中野区コミュニティーバスとして開通しました。
関東バスに運行が委託されましたが、補助金が3年間で打ち切られて以後は、事実上関東バスの1路線として運行されています。
車両については、当初は独自デザインの外装でしたが、現在は全車関東バスの標準塗装に変更されています。

2月10日、先ずは、終点の八成小学校より経路を遡(さかのぼ)り、丸山陸橋まで歩いて経路を探索しました。


 丸山陸橋にて       野方消防署〜野方駅北口

     A154 練馬200 か 14-34 PA-ME17DF(三菱 / MFBF) 2005年式   
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陸橋下で右折するのは、「なかのん」開通に際して導入された、2005年式三菱エアロミディMEで、阿佐ヶ谷営業所には3台(A154〜156)が在籍しています。
「なかのん」の開通によって、バス路線が消滅して久しかった丸山陸橋(野方消防署)以西の新青梅街道に、再びバスが走るようになりました。


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一方、関東バス高70系統(丸山営業所〜高円寺駅)の大幅減便により、丸山陸橋以東の野方消防署〜江古田二丁目間は、事実上バスの空白地帯と化してしまいました。(奥が江古田二丁目方面です。)

野方駅北口より終点の八成小学校まで、「なかのん」に乗って戻ることにしました。


 都立家政にて       鷺宮二丁目〜都立家政入口   
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私は、小・中学生時代を鷺宮三丁目で暮らしました。最寄り駅は西武新宿線の都立家政駅で、一方通行の通り(家政銀座商店街)を奥に向かうと駅にたどり着きます。
当時の新青梅街道には、都営112系統(※1)や都営142系統(※2)のバス路線がありましたが、利用すること無く廃止となってしまいました。
かつての馴染みの地にバス路線が復活したのには、個人的ですが感慨深いものがあります。


 鷺宮四丁目交差点       鷺ノ宮駅入口〜鷺宮三丁目

     A155 練馬200 か 14-35 PA-ME17DF(三菱 / MFBF) 2005年式   
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交差点の南北方向(中杉通り)は、関東バスが頻繁に行き来しており、東西方向を走る「なかのん」は脇役的な存在です。


 上鷺宮を行く       武蔵丘高校〜武蔵台小学校

     A155 前出(以下 略)  
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バスは、上鷺宮二丁目並びに鷺宮五丁目界隈を行きます。行き先表示には、堂々と「上鷺宮」を掲げていますが、実際はかすめるように新青梅街道を走っているに過ぎません。
鷺宮四丁目交差点以西(鷺ノ宮駅入口〜八成小学校)は、「なかのん」が開通する遥か以前、僅か3年足らずの期間しかバス路線が存在しなかった空白の地でした(※2)


 八成小学校にて

     A156 練馬200 か 14-36 PA-ME17DF(三菱 / MFBF) 2005年式 
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この八成小学校と、一つ手前の稔ヶ丘高校入口は杉並区内です。夜間の入庫便(3便)を除き、一つ先の井草一丁目まで乗り通すことは出来ず、ここで降ろされてしまいます。
この2枚は、到着後運転士の方に断った上で撮影しました。ブログ上でも、改めてお礼申し上げます。

「なかのん」を開通させるにあたり、当初は鷺宮・上鷺宮地区をこまめに巡回するよう考えたようですが、道路事情等により断念し、現在のルートになったようです。

個人的な意見ですが、事実上関東バスの1路線となっているのであれば、丸山陸橋以東もそのまま新青梅街道を直進し、中野通り経由で中野駅へと赴くようにルート変更をしたほうがいいと思うのですが、如何でしょうか?
この場合は、まずは「なかのん」の看板を外し、その上で既存の路線との調整、担当所の移管(阿佐ヶ谷→丸山)といったことが必要になるでしょう。
そう考えると、「言うは易く、行うは難き」ですね。


(※1)都営112系統
 1948年10月1日 鷺ノ宮駅〜新橋駅間が開通(都営・西武で運行)⇐2016.1.13 赤字部分記述訂正
          《江古田二丁目〜新橋駅の区間は、都営・西武関東で運行。
 1969年11月16日 廃止
《主な経路》
鷺ノ宮駅前―鷺宮四丁目―野方消防署―江古田二丁目―目白五丁目―小滝橋車庫前―新宿駅前―四谷三丁目―赤坂見附―虎ノ門―新橋駅前

(※2)都営142系統
 1968年 9月29日 上井草駅〜池袋駅東口間が開通(西武と共管)
 〔 時 期 不 明 〕  都営単独で運行(1時間に1本程度。西武は南田中車庫〜八成橋〜池袋駅東口 平日1往復)
 1971年 8月 1日 廃止
《主な経路》
上井草駅入口―八成橋―鷺宮四丁目―野方消防署―江古田二丁目―目白五丁目―目白駅前―千登世橋―池袋駅東口
         (西武のみ)
       南田中車庫  

〔以上 2012年2月10日 取材 / 2月12日 記〕


《後日談》 2013年4月24日
去る3月15日のダイヤ改正に伴う大幅減便により、訪問時のように3台のバスが行き交うシーンは、過去のものとなってしまいました。「ルート変更云々…」は全くの妄想に終わりましたが、「なかのんの看板を外し…」だけは現実のものとなりました。

《追補》2016年1月13日
都営112系統の記述において、誤解を招く部分がありましたので、記述を訂正しました。赤字部分)
 (112142様よりご指摘頂きました。お礼申し上げます。)
合わせて都営142系統の経路に追記を行いました。

《追補その2》2017年2月14日
この日に撮影の画像並びにコメントを追加しました。

 野方二丁目にて

     A909 練馬200 か ・ 8 74 KK-LR233J1改(いすゞ / I-BUS) 2003年式
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往路便の前面行き先表示は、「なかのん」当時と同様です。


 井草二丁目交差点にて      井草一丁目→稔ヶ丘高校入口

     A909 前出(以下 略)
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復路便の前面行き先表示は、「なかのん」の愛称に代わり「K01」の系統番号が追記されました。


by tane_mackey | 2013-02-12 02:08 | 路線バス | Comments(6)

Commented by tane_mackey at 2016-01-11 19:26
112142様、コメント有難うございます。
当時、私は鷺宮三丁目に住んでいました。残念ながら、記録等は一切ありません。何せ家が貧乏で、カメラなどとても手が出せる状況ではありませんでしたので、沿道を散歩がてら、通りゆくバスを眺めたりしていただけでした。
西武バスが撤退する以前は、都バスと交互に日中は15〜20分間隔で運行されていたよう記憶しています。
ある日気付いた時には、それまでの(鉄板の)時刻表の上に、半ば無造作にシール様の時刻表が貼り付けられ、都バス単独での運行となっていました。それに伴い大幅な減便となり、西武バスは池袋駅東口〜八成橋〜南田中車庫間を、1日1往復のみとなりました(日祝日運休)。
確証はありませんが、西武バスが撤退したのは、恐らく112系統の廃止と同時期ではないかと、私自身は思っています。
最後に。142系統の「八成橋」は、現在の「八成小学校」辺りだったように記憶しています。
Commented by tane_mackey at 2016-01-11 23:27
112142様、更なるコメント有難うございます。
池袋駅東口-八成橋-南田中車庫 系統についてですが、当方の”生の記憶”でよろしければお伝えします。
この路線は、朝に池袋駅東口行きが1本、夜間に南田中車庫行きが1本の運行でしたが(日祝日運休)、142系統の廃止から2ヶ月ほど遅れて1971年10月に廃止されました。
蛇足ですが、同時期に西武バスの練馬駅〜高円寺駅線が廃止されています。関東バスも両駅間を運行しており、こちらは「高60系統」として現存しています。(それぞれ独立路線として運行していた模様)
Commented by tane_mackey at 2016-01-16 16:34
112142様、たびたびのコメント有難うございます。
紹介されている都営と西武あるいは関東との共管系統ですが、その多くは昭和40年代に廃止あるいは共管解消されてしまい、今でも残っていたらと残念でなりません。
その点では、東急単独で運行を継続している「東98系統」が羨ましい限りです(昔なら目黒駅で路線が分断→廃止の憂き目に遭っていたかも知れません)。
さて「丸山一丁目」の件ですが、ここには操車場が在りました。鷺宮在住当時、散歩がてら通りかかったことがありました。夏の昼下がりのことで、突然目が痛くなったのを覚えています(後に光化学スモッグと判明)。
『都バス資料館』様の『都バス路線資料館』の記述では、1968(S43)年10月より約10年間使用されていたとのことです。跡地は今どうなっているのか、今や正確な場所さえ思い出せません。
Commented by 112142 at 2019-01-06 13:19 x
ご無沙汰しております。前回のこちらの記事へのコメントから3年も経過してしまっていたのですね。
時折、楽しく拝読致しております。

あれから「丸山一丁目」操車所について、少しずつ調べておりました。
当時の航空写真や住宅地図を、停留所数停分離れた範囲まで広げて探してみたのですが、見付けられませんでした。都バスによくある、都営住宅など公共施設の用地にでも乗り入れていたのかと、そういう場所を目を凝らして見てみたりもしたのですが、やはり見付けられません。

操車所がある筈なのに写真にも地図にも見当たらない。

写真にも写らず地図にも載らない場所。

ふと「丸山一丁目」の場所から思い付きました。
丸山陸橋の下。
航空写真には写りませんし、地図からも脱落する可能性があります。
そしてそこには駐車場があります。

そう思って検索を掛けてみますと、意外とあっさり証言が見つかりました。
「都内の廃止されたバス路線について語ろう」
https://society.5ch.net/test/read.cgi/traf/1035925770/
こちらの掲示板の 180 189 217 に記述がございました。

ご存じの方には当たり前の事も、知らない者にとっては発掘が大変な事の一例です。

ところで、池袋駅~鷺ノ宮駅という都バス路線ってあったのでしょうか?
また、新橋から来る都バスの鷺ノ宮駅の折り返しは、現在の西武フィットネスの場所にあった発着場だったのでしょうか?
その他、別件ですが、西武百貨店~上高田五丁目、丸山小学校~吉祥寺駅なる西武バス路線があった事を知り、新たな折り返しの謎が生まれてしまいました。

今後も興味深い記事を期待申し上げております。
ご報告までにお知らせ申し上げます。
Commented by 112142 at 2019-01-06 16:05 x
度々失礼致します。なお、
新橋駅-鷺ノ宮駅 系統ですが、関東バスも運行があったようです。年代によって、1日5~10回(上下別?平休別?)、90分おきなどと、本数は少なめです。
Commented by tane_mackey at 2019-01-06 18:04
112142様、コメントをお寄せいただきありがとうございます。
紹介されていた掲示板を覗いてみましたが、私の知らないことが多々あり興味をそそられました。「池袋駅〜鷺ノ宮駅」の路線を含め、コメントで寄せられた路線の存在は、全く存じ上げませんでした。
ここから先は私の推測になります。1968年9月29日に「上井草駅〜池袋駅」線が開通。1969年11月16日に「鷺ノ宮駅〜新橋駅」線が廃止となっており、1年余りの併存期間がありました。単純に考えれば、「池袋駅〜鷺ノ宮駅」の運用を設けることにより両路線の車両をやりくりしていたのではないかと推察されます。更には「池袋駅〜新宿駅(宿20)」線とのやりくりもあったかも知れません。
それから、「鷺ノ宮駅〜新橋駅」線で関東バスの運用もあったとのことですが、そうであるならば鷺ノ宮駅で客扱いを終了後は、都営、西武ともども白鷺一丁目まで回送して転回していたのではないかと推察されます。別の転回場が在ったの説もあるようですが、私自身は「白鷺一丁目で転回」が腑に落ちます。果たして真相は?